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ケフェウス座:左手に王位の印であるしゃくを持ち、右手には春夏秋冬を表すリボンを持ち、星をちりばめた王冠をいただいています。ここに、復活し、昇天したキリストの栄光に輝く姿を見ることができます。王の右肩に輝く星はアルデラミンと呼ばれ「急ぎ帰る」を意味し、腰の周りのアルフィルクには、「あがない主」左膝のエライには、「羊飼い」の意味があります。イエス・キリストは、私たちの罪のあがないとして、十字架上で死の苦難を受けましたが、神は高く天に上げ、右の座にすえ、すべてのものの支配と力との上に立たしめたのです。

うお座:2匹の魚がいます。1匹は北極に向けられ、1匹は太陽の道である黄道に横たわっています。2匹の魚はバンドで結ばれています。2匹の魚はキリストの働きから生まれた「教会」を象徴しています。預言者エゼキエルの言葉には「聖なる海は、数え切れないほどの魚が満ちあふれるであろう」とありました。教会はキリストの来臨前の教会と来臨後の教会いいかえると新約の教会と旧約の教会にわかれています。しかし、信仰は1つです。2つの魚はしっかりと結ばれ霊的命も1つです。その一端は、おひつじ(キリストをあらわす)の足にかかっており、教会はキリストとつながっていることを示しています。

みなみのうお座:みずがめ座から流れ出ているいのちの水の中に、1匹の魚が生きています。ちょうど口のところに1等星フォーマルハウト(魚の口の意味)が光っています。聖霊のはたらきによって新しいたまものが生まれる様子を描いています。この聖霊の賜物とは、あがない主キリストを信じて新しく生まれ変わった人々の群れ、すなわちキリストの教会を意味しています。魚はこの信仰者の群れ、教会の象徴です。教会は新しく霊的創造によって造りかえられた者の集まりであり、魚がいのちの流れにまかせているように聖霊の新しい力によって生きるのです。

1人の男が大きなかめを抱え、天からの水を尽きることなく流しています。キリストがかかえるかめは、幸いに満ち満ちた新たなるものを生み出す、尽きることのない力がたくわえられていることを示しています。かめから流れ出る水については旧約聖書の預言の言葉が次のように明らかにしています。「わたしは渇いている地に水を注ぎ渇いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎあなたの末にわたしの祝福を与える。」(イザヤ書44章3節)わたしの霊とは聖霊をさし、かめから流れ出る水は、聖霊の豊かな臨在を表し、聖霊の注ぎによってはじめてキリストを信じるすべての人々の乾きがいやされ、永遠のいのちと祝福が与えられることを示しています。

やぎ座:倒れかかった山羊の姿があります。尾は魚の形をしており、生き生きとしています。半分は山羊、半分は魚という奇異な動物です。山羊や羊は古代より神にささげられてきた動物としてえがかれています。この星座の山羊は、死を前にしてうなだれている姿です。片足は曲げて体の下にあり、もう一方の片足はのばしたたままで起き上がる力もありません。このことは聖書に記されている通り、キリストが人々の罪を一身に背負い、その罪のあがないとして死のまぎわにある姿を表しています。この星座のラテン語名であるカプリコルヌスには、「山羊」のみでなく、「あがない」の意味も含まれています。魚には「生産」の意味があり、キリストが最初に使徒を選んだとき、「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」でした。聖書学によると、魚はキリストによって再生した人々、すなわち新しい命をあたえられた人々を意味しているのです。
