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ろくぶんぎ座:ポーランドのヘベリウスによってつくられた星座です。六分儀とは測量につかわれる道具です。星座にされた理由は天体観測の時に望遠鏡を使わずに、肉眼で六分儀を使用していたからだとされています。キリスト教では、聖書が六分儀のように大事な方向を示す役割をしているように思います。イエスキリストの父なる神を指し示しているように感じるのです。

こじし座:ヘベリウスによって設定された星座です。おおぐま座としし座の間で輝いています。ダニエル書では、ダニエルがししのいる穴になげいれられるが、ししに害されることなく過ごし、助け出される話がでてきます。ダニエルには、「神は私の裁判官である」という意味があるそうです。ダニエル書は預言の書としても有名です。

ポンプ座:フランスのラカイユが設定した科学道具シリーズの1つです。水をくみあげるポンプでなく、科学実験において真空状態をつくり出すためのポンプです。動物の心臓もポンプのはたらきをするといわれています。心臓は、人間にとってとても重要な働きをしている部分です。また、震災のときに、水をくみ上げるポンプは、たいへん重要なはたらきをしたとされています。新しい星座のために、神話やキリスト教とはあまり関係のないようですが、たいへん重要なはたらきをしていると考えられますので、キリスト教では、弟子たちのはたらきを連想させられます。

りょうけん座:比較的新しい星座です。聖書では、金持ちと貧乏人のラザロのたとえに犬が登場します。犬がやってきてラザロのできものをなめた話です。(ルカによる福音書16章21節)また、マタイによる福音書には、女が「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」と言い、その後イエスは、女の人の娘の病気をいやされる話にも犬は登場します。りょうけんではありませんが、このように聖書では、犬等の動物もよくでてきます。(マタイによる福音書15章27節)

やまねこ座:3等星より暗い星でできており、見つけにくい星座です。この星座を設定した人が、「この星座を見つけるためには山猫のような鋭い目が必要だ」というほど見つけにくい星座です。見えにくいものを見えるようにする、これは、キリスト教で言えば聖書のはたらきといえるかもしれません。また、讃美歌もまた同じ働きをしているかもしれません。

かみのけ座:たくさんの星が集まった星団を髪の毛の束に見立てた星座です。ギリシャ神話では、古代エジプトのベレニケ王妃の髪の毛と言われています。クリスマスに,自分の大事な髪の毛を売ってプレゼントを用意したという有名なお話があります。しかし、実際にはそれが役に立たなかったことになるのですが、自分の大切なものをささげることの意味を考えさせられます。

からす座:うみへびの背中にのり、口ばしでつついているからすの姿があります。正義に反する行いをした者は、鳥や野獣の餌食になるという表現は、聖書にはよくでてきます。からすは最後の審判のために用意された鳥で、うみへびの背をしっかりとつかみ、へびの体を食いちぎろうとしています。ここに悪魔とそれに従う者たちの決定的な破壊が示されています。

コップ座:コップといっても、私たちが通常使うものとはちがい、ギリシャの工芸品に見られる、両側に耳のような取ってのついた立派な盃でクラーテルという酒と水を混ぜる器のことです。しかし、ヨハネの黙示録(第14章)では「神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、」と表され、混ぜものなしのぶどう酒がでてきますが、これは神の激しい怒りとさばきを意味しています。終末には、悪魔や不信者の上に、神の怒りのぶどう酒はやむことなく注がれるとされています。

うみへび座:長い蛇の姿、星座の面積が全天一という巨大さです。悪魔の代名詞とされている蛇は、アダムとエバを誘惑し、破壊へとおいやりました。人類は、この悪魔とその悪霊に支配され、罪と堕落を重ねていきました。地上の教会の戦いは、この悪霊に対するものです。パウロは、言っております。「主に依り頼み、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソの信徒への手紙6章10節11節)悪魔は、ししであるキリストによって、地に落とされ、最後の最後に踏み砕かれ滅亡します。滅亡が定められている悪魔とメシヤの最後の勝利を象徴しているのが、うみへび座です。

しし座:ライオンの姿に、終末におけるキリストの王権とその大能の象徴を見ることができます。ユダの子孫から生まれたメシヤこそ、このししといわれるものです。旧約の中には、神の審判のおそろしさをライオンの性質であらわす言葉がよくでてきます。「それゆえ、わたしは彼らに向かって、ししのようになり、ひょうのように道のかたわらに潜んでうかがう」(ホセア書13章7節)「ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう。」(アモス書3章8節)しし座は、最後の審判において、神とあがないの小羊なるキリストが、ししのような怒りと威厳をもって徹底的に、神に敵対する者、不信者、反キリスト、悪魔をさばかれることを象徴しています。
